迷夢製造
「p-lag」代表が 表現にまつわるよしなし事を そこはかとなく書きつくる場です
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DATE: 2008/07/06(日)   CATEGORY: つれづれ
読み解かれ方
先日、中田ヤスタカ関連の記事に惹かれて「MARQUEE」の最新号を手にしたところ、巻頭に寄せられていたMMMatsumoto氏による文章が目に留まった。
いや、“目が留まった”と言った方がいいかもしれない。
タイトルは「音楽地図が書きかえられる2008年」。
おおまかに言えば、今この2008年が音楽傾向の転換期なのではないか、という話。
シンプルながら、この内容がかなり興味深くて面白かったので、少しこの場を借りて紹介させていただきたい。
個人的に贔屓なアーティストについて語られている、ということもあるが。笑
いやしかし、その点を抜きにしても、ちょいとばかし鋭い分析ではなかろうかと思う。
全文掲載したいところだが、そうするとかなりの分量になってしまうので、要点のみ引用させていただく。

まずあらかじめ、挙げられている具体的事例について、簡単に。
1)青山テルマとジェロの前触れもない大ヒット。
2)Perfume等を通した中田ヤスタカ(capsule)の注目のされ方。
3)9mm Parabellum Bulletや凛として時雨、ミドリ等のバンドの台頭。
そして、それらを読み解くキーワードとして挙げられているのが、以下の三つ。
 「刺激」「ギャップ」「本物」

「共通するのは、定説・既成概念の裏切り。つまり、ギャップだった。もっと言えば、新鮮さ。
 でも、このギャップを生み出したには、あるルールがあるように思った。それは青山テルマにしてもジェロにしても、本物だったこと。両者とも、それぞれの音楽スタイルを充分に習得したうえでの、引きのR&B、演歌だった。もしもこれが、憧れや雰囲気ものだったなら、単なるギャグもしくは青春の思い出で済まされていたはず。そんな例は、90年代のいわゆるフレンチ物でも学習済みだ。
 このギャップについては、Perfumeにも同じ事が言える。なぜ彼女達が大ブレイクを果たせたか。それも、アイドルなのにアイドルらしくない音楽やダンスや喋りをするというギャップに起因するはず。アイドルであることをキープした「らしくない」マナー違反。まずここで引っ掛かり(注目され)、いざ蓋を開ければ、音楽・ダンス・喋りともに、青山テルマやジェロと同じく本物志向だったことから一般層へ広がった、という流れだ。しかも、ネット世代を象徴するPerfumeらしい話も加わる。今すぐにでもネットを開けてほしい。今や、アクターズ叩き上げのあの独っ特のダンスを、いかに習得するかが競われている、なんて現象も。それは、かつてのカラオケ時代をも更新する。一昔前、英語と日本語がバイリンガル・レベルで混じるLOVE PSYCHEDELICOを、いかに歌いこなすかが競われたように、今またPerfumeも、動画という時代に即した形で、新たな刺激を提供する発信源ともなっている。
 [中略]
 では、バンドの方は? と言うと、こちらは圧倒的に刺激。と言いつつも、Perfumeの場合のギャップと同ベクトル。9mm、時雨、ミドリ、そこに例えば、MASS OF THE FERMENTING DREGSやマキシマムザホルモンを加えてもらっても構わない。どれもライヴが凶暴(笑)。ルーツの一つにハードロックやメタルがあるからか、パッショネイトで変拍子・変則展開も曲のフックに変え得るうえでのスピード感や音の過剰さ・密集感が強いこと、そして何よりも「応援ソングは今いらない」(笑)といった自分と向き合う感じと痛さがあることは、ほぼ共通している。簡単に言うと、痛くて激しい。熱いとも言える。でも、それでいて冷めているのだ。
 ここで注目すべきは、応援ソングのぬるま湯をひっくり返す“痛い感じ”、これがインに入りかけていること。ただし、青山テルマやジェロではないが、一つだけ条件がある。それは空気が読めたうえでの痛さであること。痛さに酔っていないことだ。Perfumeではないが、つまり自分達に対して客観的視点を持っているかどうかが、ここでも問われる。新感覚とも言える彼等の特徴は、音楽の形がAメロ→Bメロ→サビという既存枠を飛び出ていることよりも、むしろ、あれ程激しくともスカッとしていることだ。まるで劇画のように。その突き抜け感は、冷静な感覚が根底にあってこそのもの。だからたとえガーッと突入しても、しっかりと楽器は演奏されている。その意味で、とても音楽的だ。衝動さえもが、ちゃんとプレイとして、音・音楽として形にされている。
 [中略]
 そこには時代が求める共感・共有の仕方が見える。バンドが今、痛みまで込みにするほど、パーソナルなところから発信されるのも、「まず個人ありき」での事なのだとしたら、“そばにいるね”の本来ケイタイで交わされていたかもしれないあの歌詞の感情とも繋がる。お膳立てのし過ぎで飽きられたアイドルというものに、パーソナリティを持ち込むことで興味を持たれるPerfumeにしても、そう。どれも、よりコアな方向、要素ばかり。でも、それくらいで今はちょうどいい。
 よくネットやケイタイによって人と人との関係が薄らいだと言う。けど、その反面で、濃くもなったことを忘れがちだ。その濃さ。つまり1対1の関係から始まる事、そこに刺さる音楽への転換。「刺激」と「ギャップ」と「本物」がリンクすることで掘り起こされたものは、パーソナル・ネットで通じ合う時代のリアルさなのかもしれない。」

以上の指摘が「正しいかどうか」は、個人的にはあまり問題視していない。「その刺激とはつまりどういうことか?」など、疑問をあげようと思えば、それほど難しくはない。
僕の関心は、このように「読み解かれている」現象そのものにある。
とはいえ、なまじ好きな人たちのことが書かれているので、100%客観的になることは到底できないし、多くを語ることは控えようと思う。
ただ、ここで語られている「リアル」さに関しては概ね賛同できる、ということは言っておきたい。

――「痛くて激し」く、「既存枠を飛び出」てはいるけれどもどこか「冷めている」。「パーソナル」で「コア」で、それでいて「客観的」な「本物志向」の表現。

これらのキーワードは、音楽に限らず、今さまざまなジャンルの(特に若い)表現者たちが手を伸ばそうとしているものに、かなり接近しているように思う。
音楽においても。文学においても。そして、演劇においても。
何が「リアル」か(“嘘臭くない”か)ということは、その時代によって変わる。
とりわけ、「それくらいで今はちょうどいい」なんて表現は、かなり端的に時代の空気を表しているような気がするのである。
いかがだろうか。
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